拝むのは仏様だけでいい?

偶に聞くのは、「拝むのは仏様だけでいいんだから」という言葉。
ということで今回の記事は

手を合わせるのは、仏様だけでいいのか? 

についてです。
これは結論から言ってしまうと、出来れば神様にも手を合わせた方がいいですが、仏様だけに手を合わせるだけでも構いません。実質、霊能に携わる者や家に神棚がある、霊格を上げたいという方が神様に手を合わせれば大丈夫です。
しかし、これは神様の存在を信じていないことを言葉にしない場合に限ります。
では、神様の存在を信じない上で「拝むのは仏様だけでいい」と言葉にすることは、何を意味するのか?
それは

「自分は、神様の存在を信じていないから、手を合わせない。だから、自分の事は見捨ててくれて構わない。」

 と言外に、神様に対して言っていることを意味します。
言葉は言霊というように、たとえストレートに言葉にしなくても、いかに回りくどくても、神様はその言霊に込められた意味を読み取ります。

そうなった場合、「神様の存在を信じていないから見捨ててくれて構わない」と言外に言った本人は、完全にその瞬間から神様に見捨てられます。それで、自分が困った時に神頼みをしても神様はその人に対し

「神様の存在は信じていないから、自分のことは見捨ててくれて構わないと言ったのは、己でなかったか?そのような己にのみ都合のいいように事を運ぼうとする者にかける情けはない。」

と助けてくれません。そうなると、どんなに謝罪を神様に対して行っても、中々許してもらうことは出来ません。
また、拝むのが仏様だけでいいならば、33回忌を迎え神様になる権利を得た御先祖様の事はもう拝まないということにもなります。これは、かなり罰当たりです。

ここで僕が皆様にお伝えしたいのは、

1つ、霊が見える人見えない人がいるように、神様を信じる人信じない人、霊能力者を信じる人信じない人は必ずいます。信じる人が100%なんてことは有り得ません。なので、信じる信じないは本当に個人の自由。しかし、信じないなら自分の中だけで留めていて欲しい

2つ、信じていないからと言って言葉にしていい事にはならない。信じていないと言葉にするという事は、否定をするという事。言葉にして否定するには、依頼者様を救う為にかけている命以上のものを差し出すこと、誰もが納得する根拠・証拠を示さなければならないという事。思うことは自由。しかし、言葉にしてしまったら、それ相応の対応をしなければならないという事です。また、「〜が〜なら、こうじゃないのか?」という価値観を能力者に押し付けることは、決して正しいことでは無いと言うこと。なぜなら、人には人のルールがあるように、霊能にも霊能のルールが存在しているからです。なので、こちらも価値観を押し付けることをしませんし、答えられることはお答えしますが、価値観を押し付ける内容には対応できないということ

です。
これを守っていただければ、どんなに神様の存在を信じていなくても、最低限の守護はしてくださいます。神様だって情は持っています。ただ、言葉にして人の道を外れるような人にのみ無情なのです。

0コメント

  • 1000 / 1000

心霊相談

心霊相談等の記事を書いてます。